Привет!!(プリビエイト)
こんにちは!ウクライナのキエフでインターン中の冨永です。
突然ですが、8月24日は何の日だか分かりますか?
実はウクライナにとってとても大事な日なんです。
この日はウクライナの独立記念日。
1991年8月24日ウクライナは、旧ソ連からの独立を果たしました。
ウクライナは「ロシアの母」と呼ばれることがあります。
それは、スラブ文化の発祥がウクライナであるからです。
ウクライナに来るまではロシアのものだと思っていたものも実はウクライナ発祥のものだったということが多くありました。
例えばボルシチ。
日本人にもなじみのある赤い色のスープ、実はこれウクライナが発祥だそうです。
この2つの国を比較すると色々なことが見えてきます。
それを紐解くことで現在続いている東部の戦争や複雑なウクライナ情勢も少し分かりやすくなってくると思います。

キエフでインターンをしているインターン生たちと
2つの国の違い。
例えば、ウクライナで話されている言葉。
ウクライナの首都キエフでは、ウクライナ語とロシア語が話されています。
ウクライナの友人いわく、ウクライナ人はウクライナ語とロシア語を理解できるそうなのですが、ロシア人はウクライナ語を理解することができないそう。
スラブ語系なので文字はキリル文字、しかし、話し言葉はかなり違う。
とても面白いですよね。
ウクライナの真ん中を流れる大きな川、この川を隔てて西ウクライナ東ウクライナと区別することがよくあります。
ウクライナの東側と西側では、文化や言葉、宗教などが違うとか…東部はやはりロシアと近いのでロシア語を話す人が多く、文化や習慣もロシアよりだそうです。
東部出身のウクライナの友人は小学校に入るときにウクライナ語の学校かロシア語で授業をする学校か選ぶ必要があったそうです。

歌に合わせて楽しそうに踊る子供たちとお母さん
ウクライナでの独立記念日。
公式に定められている独立記念日というものは、日本にないのでとても新鮮でした。
違う国に支配されていて、そこから独立し自分たちの国をもつ。
自分たちの文化・言葉・宗教・慣習。その国の国民であるというアイデンティティ。
ウクライナで生活しているとこの国の人々の愛国心の強さがよくわかります。
町中いたるところにある青と黄色の2色のウクライナ国旗。
この鮮やかな色を見るたびに自分がウクライナにいることを実感します。
この日はいつも以上に青と黄色を目にした日でした。
メイダン(独立広場)に集まる人たちの多くは、ウクライナの民族衣装やウクライナの国旗、自由を意味するシンボルマークの入った洋服を着ています。

ウクライナの民族衣装を来た女の子
独立広場の前には大きなスクリーンとステージが設置され、夜にはオーケストラのコンサート、有名歌手のライブや子供たちの合唱、ダンスの発表などがあります。
独立広場までの広い道も歩行者天国になり、たくさんの人であふれかえっていました。
母親と手をつないで踊る小さな男の子、手を握る軍服を来た男の人と女性のカップル、歌っている大学生くらいの若者たち、母親に抱かれて音楽に合わせ手を叩いている赤ちゃん、お父さんに肩車されて笑っている女の子。
みなさんの記憶にも新しいと思いますが、この独立広場で去年の11月から始まったデモが悪化し、2月には大規模な衝突の末、少なくとも82人以上の死傷者、負傷所は1100人を上りました。
いつか写真で見た、当時の真っ黒に焦げた独立広場の面影は、今はありませんが、その代わり毎日のように多くの花やロウソクで未だに手向けられています。

独立広場前はたくさんの人で溢れている
若い青年の写真を見つめながら泣いているお婆さんがいました。
きっと、あの時のマイダン革命で命を落とされた方なのだと思います。
旧ソ連からの独立から24年が経ちました。
クリミア問題、東部の情勢。内省的な問題、長い歴史と国際政治の言説や駆け引きなど、原因はそれぞれですが、形を変え、未だに多くの問題が解決されていません。
この日、独立広場で人々が口にしていた言葉。
日本人の私もこの国の平和を想い、祈りました。
Мир для України(ウクライナに平和を)
アイセックの海外インターンシップはこちらから ▼アイセックの海外インターンシップについてはこちらから http://www.aiesec.jp/intern-abroad/
冨永佳奈子2015年夏海外インターンシップ体験記 ▼連載1『キエフで過ごして1週間』 http://voice.aiesec.jp/archives/5639 ▼連載2『宗教って?祈りって??あなたは何を信じていますか?』 http://voice.aiesec.jp/archives/5685
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