こんにちは!
マニラから横山です。
インターンも終わりが近づいています。
今週のとある朝の会話。
ナタリー「6週間か…長いよ…帰りたい」
僕「(5週目)もう残り一週間か…早いね」
という会話を、同じ寮にすむドイツ人のナタリーとしました。
やはり、人間は慣れる生き物なので、難しいことを考えるより、先に行動してしまったほうが良いこともあるかもしれませんね。

9月中旬からは、ほとんど毎日雨続きでした。
さて、今回で連載は最後です!
6週間で感じた「気づき」を書こうと思います。
「海外インターンだからこそ」得られるようなものではないのかもしれませんが、私が強く感じたことが2つあります。
1 ボランティアの意義
これは日本でも意見が分かれるところだと思います。
私は、海外「インターン」という名前に惹かれたこともあり、自分の足跡を何らかの形で残すことができる・残したいとの思いで日本を出ました。
ただ、活動が始まるとすぐに、これは私の思い上がりだったことを痛感しました。
その反動もあり、日々の活動の意欲が沸かない期間もあって、軽い自己嫌悪を感じたことを覚えています。
「ボランティアなんて、偽善だ」
皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
私は今までボランティアの経験がなく、今回の経験だけで答えを出すことはできません。
というより、こんなことを考えるだけ時間の無駄なのかもしれません。
フィリピンで触れ合った様々な人々は、純粋に私たちを迎えてくれました。
変に意気込んで「ボランティアで貢献するぞ!」なんて構える必要はなくて、楽しい、普通の触れ合いをすればいい。
気持ちに余裕ができました。

フィリピンの交通事情。日本人の僕から見ると、とても危険。
2 自分から発信する大切さ
前回までの記事の通り、周囲がヨーロッパ人ばかりだったこともあって、初めはコミュニケーションを取ることに苦労しました。
ただ、アニメや時間厳守の姿勢、お酒が弱い(笑)などなど、日本へのイメージはあり、そういったことで会話にはなります。
で、冷静に考えました。
それは「日本」というバックグランドがあったからこそ会話になったわけで、それがなくなった時に、私はコミュニケーションをとることができただろうか。
こう思ったのでした。
具体的に言うと、世界の大方のイメージは「日本≒Tokyo」であり、私が仙台の大学だよ、と言って興味を示す人はほとんどいませんでした(Fukushimaの認知度は高かったですが)。
抽象的な話になってしまい恐縮ですが、日本人は外国人の持つ「日本のイメージ」に合わせてしまいがちだと思います。
かく言う私も、「ピカチュウ、ハラキリ」などと、外国人受けしそうなものを探していることが多かったです。
これって、異なる言語で込み入った表現を避ける(というか、できない)から、とりあえずコミュニケーションを成立させようとして起きる現象だと思います。
世界がボーダーレス化する中で、私はこのようにはなりたくありません。
日本人、ヨーロッパ人などという区別をこえて、一個人「横山洋介」として、人々と付き合うことのできる人間を目指していきたいです。
(「気づき」というより意思表明になってしまいましたが、まあいいでしょう。)
最後になりますが、アイセックで活動していない人も、参加すれば見えるものがあるはずです。
そして、それはあなただけの力になります。
難しい事を考える前に、是非一度アクションを起こしてみませんか?
(フィリピン マニラ発:東北大学 文学部 3年 横山 洋介)
アイセックの海外インターンシップはこちらから ▼アイセックの海外インターンシップについてはこちらから http://www.aiesec.jp/intern-abroad/
横山洋介2015年夏海外インターンシップ体験記 ▼連載1『ダンケシェーン』 http://voice.aiesec.jp/archives/5530 ▼連載2『無秩序な国』 http://voice.aiesec.jp/archives/5541 ▼連載3『僕のインターン』 http://voice.aiesec.jp/archives/5613 ▼連載4『子どもたちの未来』 http://voice.aiesec.jp/archives/5620
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